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着物の歴史

こんにちは。今回は着物の歴史についてお話ししたいと思います。

着物の歴史

「和服」とも呼ばれる日本の民族衣装である「着物」ですが、その名称は元々「着るもの」から来ており、身に着けるもの、衣服という意味でした。

それが外国から来た洋服との区別をつけるために、「和(日本)」の「服」=「和服」という呼び方で呼ばれるようになりました。

今、着物は海外では「kimono」という固有名詞で日本の衣服として通用しています。

そんな着物には、日本の四季にならい、季節ごとの生活様式を取り入れてきた日本人特有の文化が凝縮されています。

人が衣服を身に着けるようになったのが確認されたのは縄文時代からで、現在の着物のルーツは平安時代といわれています。

時代とともに、着物はどのように変わってきたのでしょうか。

次から着物の特徴を時代別に見ていきましょう。

縄文時代(紀元前14000年頃-紀元前10世紀頃)

狩猟で生活をしていた縄文時代は、外敵から身を守ったり、暑さ寒さをしのぐために身に着けたりしていたと考えられています。

そのため装飾などはなく、狩猟で手に入れた動物の毛皮や羽毛、木の皮などを身体に巻き付けただけの簡単なものでした。

そのうちに田んぼや畑を作り、作物を育てるようになるとカラムシ(苧麻)や麻などの繊維が生まれ、それらから糸を紡ぎ織物が作られるようになりました。


弥生時代(紀元前10世紀頃-紀元後3世紀中頃)

卑弥呼が治めていた「邪馬台国」で有名な弥生時代は、女性は大きな布の真ん中に穴を開け、頭を通して着るワンピースタイプの「貫頭衣(かんとうい)」という袖なしの衣服の腰に帯状の紐を結んで着ていました。

男性は1枚の布を巻き付けた「巻布衣(かんぷい)」といわれるものを着ていました。

また、身分の高い人は絹の衣服を身に着けることができ、この時代になると居坐機(いざりばた)という原始的な機での機織りや、紫草や藍などから取った植物染料による染色も行われていたため、それらを取り入れた衣服を着用していました。


古墳時代(3世紀中頃-7世紀頃)

大陸との交流が盛んになり、中国などの影響を受けます。

女性は中国の模倣とされる筒袖(つつそで)の「衣(きぬ)」といわれる上衣に、下はスカートのような衣裳(きぬも)と呼ばれる布を身に着けていました。男性は同じく衣の上衣と、下はズボンのような2つに分かれた筒状の布を足首の所で紐で縛った「衣褌(きぬばかま)」を着用していました。

そしてこの時代の前合わせは「左前」であったことが埴輪からわかっています。
※現代の前合わせについてはこちらの記事にまとめています。

着物の前合わせは「右前」。覚え方。

この時代から養蚕が盛んになり、絹糸の織物が増えていきました。


飛鳥(592年-710年)・奈良時代(710年-794年)

700年頃に入ると、遣隋使や遣唐使の影響で中国の影響を色濃く受け、多くの文化が取り入れられました。

支配階級の人々は中国を支配していた漢民族の衣服の影響を受け、「漢服(かんぷく)」といわれる大きな袖口を持つ全体的にゆったりとした衣服を着ていました。

漢服とは、男女ともに左前で詰め衿式の盤領(あげくび)といわれる衣服に、男性は頭に冠をかぶり、「袍(ほう)」といわれる前開きのガウン状の上着を着用しその下に袴、女性はスカートのような丈の長い「裙(も)」というものを着用するスタイルです。また袴や裙の上から「褶(ひらみ)」というプリーツ上のものを着けていました。

飛鳥時代になると聖徳太子により「冠位十二階」が制定され、冠位により冠と衣服の色を分けられるようになります。また奈良時代になると位により服装を礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服(せいふく)の3つに分ける三公服という制度が行われました。

そして養老3年(719年)に発布された元正天皇の「衣服令(えぶくりょう)」により、着物の前合わせが右前に定められました。


平安時代(794年-1185年)

894年に遣唐使が廃止されたことにより大陸との交流が途絶え、次第に日本独自の着物文化が発達していきました。

公家の男性は朝服から「束帯(そくたい)」というものへ、女性は「唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)」や「女房装束(にょうぼうしょうぞく)」といわれる晴れ装束を着用していました。重ね着をすることからついたこれらの俗称が「十二単(じゅうにひとえ)」です。

束帯、唐衣裳装束ともに袖の部分は袖口の下を縫わない「大袖(おおそで)」を用い、その下に筒袖(つつそで)の「小袖(こそで)」といわれるものを身に着け、この「小袖」が現在の着物の原型となりました。

公家、武家などの位の高い人は「白小袖」を下着として着用していましたが、庶民は下着ではなく表着として、「袂に丸みのある白小袖」を着るのが主流になっていきました。


鎌倉(1185年-1333年)・室町時代(1336年-1573年)

武家が勢力を増し、次第に政治の実権を握るようになったことから衣服も戦闘などに備え実用的なものに変わっていきました。

このころの武家の衣服は、男性は大袖である「直垂(ひたたれ)」に袴、女性は「小袖」「袴」「衣」からなる「衣袴(きぬばかま)」が中心でした。武家の人々は公的な場では大袖を着用していましたが、私生活では小袖を多く着るようになっていきました。

室町時代末期になると装束の重ね着が簡素化し、袴や裳(も)は省略され小袖のみの衣服に変わっていきます。武家も庶民も身分や性別に関係なく袂の付いた小袖を身に着けるようになり、次第にそれに装飾が施されるようになりました。


安土・桃山時代(1573年-1603年)

戦乱の平定後、華やかな美術工芸品などが誕生し、桃山文化が生まれました。小袖の装飾が緻密になり、箔や絞りといった染織の技術が飛躍的に進歩したことから、色鮮やかで華やかな模様や細工が着物に取り入れられるようになりました。

男性は鎌倉・室町時代に生まれた「肩衣袴(かたぎぬばかま)」、女性は「打掛姿(うちかけすがた)」や「腰巻姿(こしまきすがた)」が用いられ、庶民には朝鮮から現在の佐賀県にある肥後の名護屋に伝わった名護屋帯(両端に房が付いており、絹糸を丸組した縄状の帯)が流行しました。


江戸時代(1603年-1868年)

徳川家康によって開かれた江戸幕府は265年もの長い間続き、鎖国など厳しい封建社会が確立された一方で庶民階級は勢力を増し、華やかな町人文化が栄えました。

男性は、「表(公的な世界)」、女性は「奥(私的な世界)」にいるものとされ、「表」にいる男性は身分によって服装が決められており、大名は領地を与えられ自治を任せられる藩政度により藩の制服ともいわれる裃(かみしも)を着用していました。一方女性は比較的自由な服装が許されていたため、自分の好みの装飾の小袖を身に着けていました。

元禄期(1688~1703)には、元禄文様といわれる明るい色調で金糸が織り込まれた華やかな小袖がつくられました。袖の長さも次第に長くなっていき締める帯の幅も広くなっていたため動きやすさや通気性を考えた身八つ口のある、現在の着物とほとんど変わらない形の小袖が生まれました。

着物の丈も最初は対丈(身丈と同じ長さ)でしたが、だんだん長くなっていきおはしょりを作って着るようになり、末期には帯締め、帯揚げを用いた「お太鼓結び」をするようになりました。


明治時代(1868年-1912年)

明治維新によって大きな変化が起こった時代で、開国により他国文化が多く入ってきたことにより生活様式や服装様式が欧米化しました。

宮中の礼服にも洋服が取り入れられ、上流階級の人々には洋服が流行するようになります。

明治11年(1878年)には洋装を正装とする法律が作られ、官僚や軍人などは洋装が正装になりましたが、庶民はまだ小袖を受け継ぐ形の着物を着ていました。

このころの庶民男性の礼装は「黒羽二重五つ紋付羽織袴(くろはぶたえいつつもんつきはおりはかま)」、女性は「縮緬五つ紋付裾模様下襲(ちりめんいつつもんつきすそもようしたがさね)」に丸帯姿が主流でした。


大正時代(1912年-1926年)

西洋文化が一般市民にも浸透し、海外のモチーフが着物の柄に取り入れられるようになりました。また、派手な色の羽織や道行コートも流行しました。

その一方でアメリカからの影響により男性には背広が流行し、女性の社会進出が広がるにつれて女性の洋装化も進んでいきました。


昭和(1926年-1989年)・平成(1989年-2019年)~現在(2019年~)

第二次世界大戦のころは男性は国防色の上下服、女性は着物に下はモンペ姿が定番でした。

終戦後~昭和40年ごろまでは普段着として再び着物が着られていましたが、次第に洋服が日本人の主な衣服となり、着物は冠婚葬祭などの改まった場で着る「礼服」という感覚が一般的になりました。

そのほか成人式や七五三などの日本の伝統行事には着物を着る風習が残っています。


いかがでしたでしょうか。縄文時代から現代に至るまでの、着物の歴史をご紹介してきました。

時代の移り変わりと共に着物の形や着用する場もさまざまな変化を遂げてきたことがわかりました。

日本人の衣服として以前は当たり前に着られていた着物が、今では特別な時に着ることが一般的になってしまったのが少し寂しい気がします。

しかし着物は、日本の伝統文化には欠かすことができない衣服であり、着物が好きな方やお稽古などで着用する方にとってもなくてはならないものですから、これからもずっと着続けていくことで大切に守っていき、後世にも伝えていきたいものですね。

世界的にも周知されている日本の民族衣装である着物が、いつまでも日本人の誇りとして存在し続けてくれることを願ってやみません。